銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしで古城めぐり…水戸市「水戸(みと)城址」
花の見ごろに誘われて、茨城県水戸市に歴史探訪にやってきました。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

JR常磐線・水郡線の水戸(みと)駅の北口ロータリーから国道51号線を西へ出て銀杏坂交差点から北東の路地に入り、突き当りの三の丸交差点T字路を芳賀氏に入って道なりに進み、日本百名城のスタンプがある弘道館を背に県道232号線を渡るとその先両翼に広がるのが「水戸(みと)城址」です。
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弘道館を背に橋を渡った先は教育に熱心だった水戸藩の意思が伝えられるかのように城跡が学校になっています。
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橋の東詰めに「水戸城址」の石碑と解説版がありますので、ここを見逃す手はありません。
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橋詰からさらに道なりに歩くと、北に水戸市立第二中学校、南に茨城大学付属小学校が見えてきますが、それらの学校の校門すらも城郭の様相をなしています。
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そんな城郭の雰囲気満載の中学校の入口付近に水戸城と水戸藩の歴史を伝えてくれる「二の丸展示館」が設置されています。
ここ自体に駐車場はありませんが、弘道館付近には多くの有料駐車場がありますし、少し離れた仙波湖付近にも散策範囲に入れるなら、歩けない距離ではありません。(実際、歩いてきました。)
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水戸城は那珂川と千波湖にはさまれた台地の東端に位置し、平安時代末期から鎌倉時代初期の建久年間(1190~1198年頃)に桓武平家の常陸・大掾(だいじょう)氏の一族である馬場資幹(ばばすけもと)が馬場城として築城しました。
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室町時代の応永23年(1416年)、足利幕府に対抗した上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱に加担した大掾満幹(だいじょうみつもと)が足利幕府側の江戸通房(えどみちふさ)に敗れると、江戸氏の支配下となりますが、その江戸氏も有力武将であった佐竹氏とにらみ合うことになります。
天正18年(1590年)の 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原征伐で北条氏についた江戸重通(えどしげみち)は領有を失い秀吉に常陸一国を与えられた佐竹義重(さたけよししげ)・義宣(よしのぶ)によって籠城する馬場城を攻められ、文禄3年(1594年)に重通は敗走しました。
この際に佐竹氏は、馬場城を水戸城とし、城郭を西に拡大し、城下町を形成しました。
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川家康(とくがわいえやす)に味方しなかった佐竹義宣が秋田に入封になると、水戸城は東北をにらむ拠点として徳川家直轄の水戸徳川家として、以降明治時代を迎えるまでこの地を守ることとなり、幕末の戦乱を経て、今に数少ないその遺跡を残しています。
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小さな資料館ではありますが、弘道館と合わせて見ておきたいスポットです。
水戸観光に出かけたら、一度はその歴史に触れてみてはいかがでしょう。


□水戸(みと)城址
 茨城県水戸市三の丸2-6-8(二の丸展示館)
 TEL:未確認
 開館時間 9:00-16:30
 休館日:年末年始(12/31~1/3)
 駐車場なし


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2017/03/04 10:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしで古城めぐり…都留市「谷村(やむら)城址」
昨年夏頃に訪問した都留市の山城・勝山城のふもとに、城館として利用されその後は陣屋として利用された城跡があると聞き、山城とのルートを探しつつ歩いてみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

富士急行大月線の谷村町(やむらまち)駅東口から東へ進み、県道705号線を北へ2・3分歩くと都留市役所の横に見えてくるのが「谷村(やむら)城址」です。
駅からの道のりにある公園や水路、都留市役所などにも谷村城とその城下町としての歴史が所々に石碑や解説版として残されており、当時を模した街並みとなっているため、見逃すことは少ないと思います。
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「谷村城」の石碑は都留市役所の北側となりにある「都留市立谷村第一小学校」の校門付近にあるので、平日の訪問の際には生徒の出入りの時間は避けてあげてください。
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後に谷村城を築城する小山田氏は、永正15年(1518年)に武田氏・今川氏の三者間で和睦を成立させ、武田信虎(たけだのうとら)の妹を室に迎えて武田氏に対する従属を強めました。
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谷村城は中津森館(都留市金井)を本拠としていた小山田信有(おやまだのぶあり)が、享禄3年(1530年)の中津森館焼失を機に、谷村城の築城を開始しました。
小山田氏は享禄5年(1532年)に谷村城(館)が落成し、武田信虎の他、甲斐の国人を招待して披露しました。
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天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍による武田領国侵攻により武田氏が滅亡した際、武田勝頼家臣・小山田信茂(おやまだのぶしげ)は織田氏に出仕しましたが、処刑されてしまい小山田氏は滅亡しました。
郡内の小山田家臣や国衆の多くも撤退すると郡内を含む甲斐は織田家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)が領しましたが、同年6月の本能寺の変の際に発生した一揆で秀隆は落命しました。
本能寺の変により併発した天正壬午の乱では徳川家康(とくがわいえやす)が甲斐衆の多くを懐柔し、同年10月の徳川・北条同盟の成立により甲斐は徳川家康が領しました。
家康は豊臣政権下で天正18年(1590年)に関東へ移封されましたが、谷村城の改築はこの間に行われました。
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武田氏滅亡後も谷村は郡内地方の支配拠点として用いられ、豊臣系大名時代の加藤氏や浅野氏が領し、江戸時代には秋元泰朝(あきもとやすとも)が入府し、谷村藩が成立すると谷村城を中心に城下町(谷村城下町)として発展しました。
宝永元年(1704年)に藩主・秋元喬知(あきもとたかとも)が川越藩に移封されると城は廃城となりました。
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どうやら、谷村城は後方の勝山城との間の桂川に橋を架けていたようなのですが、その痕跡は見受けられないそうです。
各地で城跡の再発掘作業が実施されていますので、ズキマル君が大人になる頃には、新たな歴史の一ページが発見されているかもしれません。


□谷村(やむら)城址(都留市立谷村第一小学校)
 TEL:0554-43-3105( 〃 小学校)
 山梨県都留市上谷1-1-2
 開放時間 常時開放
 休園日:無休
 駐車場あり(都留市役所)


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2017/02/18 9:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしで古城めぐり…つくば市「小田城址」
つくば市近郊に、平成27年末に整備再調査が終わったばかりの城跡があると聞き、ズキマル君と訪問してみることにしました。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

常磐自動車道の土浦北(つちうらきた)インターから国道125号線を西へ7キロほど進み、ガソリンスタンドのある交差点の先200mほど西で分岐するY字路を道なりに1.1キロ、南側に交差点のある十字路を1つ過ぎたT字路を南へ200m進むと正面に見えてくるのが「小田城案内所」です。
ここには駐車場があるので、公共交通機関でのアクセスは少々厳しいものがありますが遠方からの訪問も安心です。
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案内所には、発掘調査時の歴史を物語る遺物や、調査について、そして小田城の歴史について展示されています。
また、15分ほどのビデオ上映を見ることで、城跡のポイントをわかりやすく解説してもらえる仕組みになっています。
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案内所からわずか1・2分歩くと広場として復元された平城(平地に築城された城館)跡にたどり着きます。
つい数年前までは田畑に囲まれた広場だったようですが、改修工事を経て散策道も含めて歩きやすくなったそうです。
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小田城は平安時代末期に平清盛(たいらのきよもり)に対抗した源頼朝(みなもとのよりとも)に従い、鎌倉幕府創設に軍功を上げた、宇都宮宗綱(うつのみやむねつな)の子・八田知家(はったともいえ)が筑波(つくば)郡に領地を与えられて、最近の説として鎌倉幕府創立とされる文治元年(1185年)に常陸守護に任じられ、小田に居館を構えたのが、小田城の始まりとされます。
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築城時期には諸説ありますが、norizoが子どもの頃に鎌倉幕府が発足したとされた建久4年(1192年)に、旧領主だった多気(たけ)氏を失脚させ小田城を築城しました。
八田知家の子・八田知重(はったともしげ)ののち、4代八田氏は領地の「小田姓」を名乗り初代・小田泰朝(おだやすとも)からは以後、小田氏を名乗りました。
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元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡時には後醍醐(ごだいご)天皇の兼務新政府に参加し、南北朝分裂時には南朝方につき重臣・北畠親房(きたばたけちかふさ)を迎えた小田城は関東の南朝派の拠点となりましたが暦応3年(1341年)に北朝軍に攻められて降伏し北朝方に従いました。
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戦国時代、15代城主・小田氏治(おだうじはる)は北条氏・上杉氏の大勢力に圧され、その都度、土浦城に撤退しては小田城を奪い返してきましたが永禄12年(1569年)に佐竹義重(さたけよししげ)に降伏、一度は反旗を翻しますが小田城の奪還は果たせず、慶長6年(1601年)に頼った結城氏が国替えで越前(福井県)に転封となるとそれに従いました。
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城主を失った小田城は、佐竹氏の客将・梶原政景(かじわらまさかげ)や親族・小場善成(おばよしなり)が居城しましたが慶長7年(1602年)に佐竹氏が秋田に移封となり、廃城となりました。
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□小田(おだ)城址
 茨城県つくば市小田2532-2
 (小田城跡歴史広場 ・小田城案内所)
 TEL:029-867-4070
 休館日:月曜、年末年始
 開館時間 確認失念(10:00-16:00頃?)
 入館料:無料
 駐車場あり


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2017/02/11 13:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

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