銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
プロフィール

ekcamp

Author:ekcamp
アメブロの銀色テントむし660の下書き(写真リンク元)ブログです。
下書きなので、アメブロには記載していない記事もあります。
また、古い記事はアップ日が間違っている場合がありますがご容赦ください。



検索フォーム



今までに読み頂いた方



今お読み頂いている方

現在の閲覧者数:



最新記事



カテゴリ



最新コメント



リンク

このブログをリンクに追加する



月別アーカイブ



気になるアレコレ





















銀色テントむしの古城めぐり…秩父「安戸城址」
週末の朝から東秩父エリアを散策することにしたので、前もって歩こうと決めていた小さな山城跡に向かいます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

今回歩いてみるのは東秩父エリアにある「安戸(やすど)城址」で、このところ新たに道の駅に加わった「和紙の里・東秩父」から2キロほどのところにあるということで、選んでみました。
DSCF1495_201702191028358f2.jpg

ホームページなどに登城履歴を挙げている方の情報は10年ほど前のものが多かったのですが、最近の登城の目印としては小川町駅と白石車庫を結ぶ路線バスであるイーグルバス(W01・02)の都沢入口(みやこざわいりぐち)バス停から、北に入る路地を120mほど進んだ西側にある石垣の上の畑に入る階段で、よく見れば城跡への案内板が出ています。
DSCF1494_20170219102834bfd.jpg

登城口の先には小さな稲荷神社があるので、そこでこれからの道の安全をお参りします。
DSCF1496_20170219102834fbf.jpg

実は、登城道は神社より少し手前に細い階段があり、そこから登っていくことになるのですが、参拝前にはすっかり見逃していました。
DSCF1497_20170219102833f25.jpg

真冬の訪問でしたが、それでも登城道は所々目印を見失ってしまうほどです。
しかし、ややくぼんでいる場所やすこし高くなっている場所を選りすぐって15分ほど歩いていくと、石垣の後とも思えるエリアが見えてきます。
DSCF1499_20170219102832362.jpg

この先に、昭和56年頃に東秩父村が設置した案内の看板と標識が見えてきます。
DSCF1502_20170219102831e5d.jpg

安戸城は築城時期や城主なども定かにはなっておらず、一説として戦国時代に武蔵松山城主・上田氏の家老・山田氏が館の東西の両翼に腰越城とともに築城し、物見台や狼煙台として利用したものではないかとされています。
DSCF1504.jpg

それ以前の室町期から鎌倉期にかけては、東秩父村安戸を武蔵七党丹党・大河原(おおかわら)氏が開拓し現浄連寺を館としてその東に安戸城を築いたともされます。
応永23年(1416年)、上杉禅宗の乱の後に大河原氏は衰退し、安戸からその家名が消滅しました。
DSCF1508_20170219103020641.jpg

古文書等にも安戸城の記述は少なく、廃城時期もわかりませんでしたが、小さいながら戦国前中期の雰囲気をよく残しており、400年以上もその遺構を残す東秩父エリアに、何とも言えない郷愁を感じました。
DSCF1503_20170219103019b71.jpg

□安戸(やすと)城址
 TEL:なし
 埼玉県秩父郡東秩父村大字安戸
 開館時間 指定なし
 休館日:無休
 駐車場なし(神社手前路地付近に1台程度駐車可能)


より大きな地図で 銀色テントむしの古城巡り を表示

↓■このカテゴリの人気ブログはコチラからチェック■↓
食べログ グルメブログランキング blogram投票ボタン
にほんブログ村 グルメブログ 大盛り・デカ盛りへ にほんブログ村 旅行ブログ ドライブイン・道の駅へ にほんブログ村 鉄道ブログ SL・蒸気機関車へ


2017/01/28 8:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしの古城めぐり…横浜「茅ケ崎城址」
道の駅と共に巡ることの多い城跡なので、3箇所しか道の駅のない神奈川県ではどうにも訪問数が減ってしまうため、道の駅めぐり休閑期のこの時期には、神奈川方面を歩きたくなります。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

横浜市電ブルーラインのセンター南(せんたーみなみ)駅から南側の歩道橋を東に進むと5分ほどで見えてくる木々の茂る小高い丘が「茅ケ崎城址公園」です。
駅から近いのですが、正面側には公園への入口がないので、ぐるりと回って公園の入り口を探します。
北側ルートを進めば早かったのですが、よくわからずに南側ルートを歩いてしまったため、駅からの距離よりも長いこと歩くことになりました(笑)
DSCF1441_20170208074226d0d.jpg

茅ケ崎城(ちがさきじょう)は、多田氏・源行綱(みなもとのゆきつな)が築城したとの伝承があります。
以降は多田氏の居城となっていたと考えられており、戦国時代前期に関東を中心に大規模な戦乱が起こりると文明8年(1476年/享徳25年)の長尾景春(ながおかげはる)の乱では、茅ケ崎城から3.5キロほどの場所にある小机城が太田道灌(おおたどうかん)に攻め落とされます。
DSCF1445_20170208074225a89.jpg

その後、北条早雲(ほうじょうそううん/伊勢新九郎長氏)が関東支配を進め、明応4年(1495年)の小田原城の奪取をはじめとして、関東各地に支城を中心とした領国を増やした際に茅ケ崎城は、小机城を中心とする後北条氏の勢力下に組み込まれていきました。
DSCF1446_201702080742242fc.jpg


戦国時代には小机衆のひとりでこの辺りを知行していた北条氏家臣の座間弥三郎(ざまやさぶろう)が茅ケ崎城代として城主になったとされています。
DSCF1449_20170208074223b27.jpg

北条氏の勢力拡大の過程で改修されたと考えられ、やがて相模国を統一すると茅ヶ崎城の重要性は薄れ、小机城に重点が置かれました。
DSCF1451_2017020807422203e.jpg

天正18年(1590年)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原攻めの際には、北条氏は小机城などには僅かな兵を残し、小机衆の大半は小田原城にて籠城に加わりました。
この時、茅ヶ崎城下を含む近隣11ヶ村には、豊臣秀吉から略奪や放火を禁止した禁制が発布されています。
秀吉の天下統一により、徳川家康(とくがわいえやす)が関東に封入になると、小机城ともども茅ケ崎城も廃城となりました。
DSCF1450_201702080743459fb.jpg

□茅ヶ崎(ちがさき)城址(茅ケ崎城址公園)
 TEL:なし
 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東3-27-27
 開館時間 城址は常時開放
 休館日:無休
 駐車場なし


より大きな地図で 銀色テントむしの古城巡り を表示

↓■このカテゴリの人気ブログはコチラからチェック■↓
食べログ グルメブログランキング blogram投票ボタン
にほんブログ村 グルメブログ 大盛り・デカ盛りへ にほんブログ村 旅行ブログ ドライブイン・道の駅へ にほんブログ村 鉄道ブログ SL・蒸気機関車へ


2017/01/14 14:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしの古城めぐり…世田谷「世田谷城址」
都内を走るチンチン電車・東急世田谷線でぶらり途中下車の旅をしていたら、こんな都心部にも城跡があることを知り、歩いてみることにします。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

東急電鉄世田谷線の上町(かみまち)駅から北へ300m進むと交差点の先西側に見えてくるのが「世田谷城阯公園」です。
都心の一等地とあって駐車場はありませんが、予想外に大きな自然エリアに驚きます。
もとは世田谷(せたがや)城だった公園内には、土塁や丘、谷があり、世田谷百景にも選ばれているそうです。
DSCF1419_20170205173620115.jpg

世田谷(せたがや)城は足利義氏(あしかがよしうじ)の子・長氏(おさうじ)が吉良庄を領して吉良氏を名乗り、鎌倉幕府の創設に注力したことから、吉良治家(きらはるいえ)が貞治5年(1366年)に鎌倉公方・足利基氏より武蔵国荏原郡世田谷を拝領してこの地に築城したのが始まりとされます。
DSCF1423_201702051736194a1.jpg

治家の子・成高(しげたか)は、太田道灌(おおたどうかん)とともに、長尾景春の乱で道灌の築城した江戸城を防衛し、道灌から「吉良殿様」と呼ばれました。
DSCF1424.jpg

成高の子・頼康(よりやす)の代には、北条氏の武蔵への侵出が本格化し、北条氏康(ほうじょううじやす)の妹・高源院を娶り、嫡男には養子として駿河今川氏・堀越貞延(ほりこしさだのぶ)の次子を養子に迎えて氏朝(うじとも)と名乗たせました。
さらに氏朝は永禄5年(1562年)に北条氏康の娘を娶らせると、世田谷城は北条氏の直轄となりました。
DSCF1422.jpg

天正18年(1590年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原の北条氏を滅すと、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、世田谷城は廃城となりました。
DSCF1432_201702051736167f8.jpg

天正20年(1592年)、徳川家康(とくがわいえやす)に取り立てられ、徳川家旗本に列した吉良氏は姓を「蒔田(まいた)」と改めたため、鎌倉時代末期から続いた武蔵の名門吉良氏は廃姓となりました。
ちなみに、元禄事件において仇役となった吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしひさ)の家は西条吉良の流れで、世田谷城の武蔵吉良氏とは別流なので、隣接する豪徳寺の吉良氏一族の墓群の中にその名を見ることはありません。
DSCF1434_201702051736153a6.jpg

□世田谷(せたがや)城址(世田谷城阯公園)
 TEL:なし
 東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
 開館時間 城址は常時開放
 休館日:無休
 駐車場なし


より大きな地図で 銀色テントむしの古城巡り を表示

↓■このカテゴリの人気ブログはコチラからチェック■↓
食べログ グルメブログランキング blogram投票ボタン
にほんブログ村 グルメブログ 大盛り・デカ盛りへ にほんブログ村 旅行ブログ ドライブイン・道の駅へ にほんブログ村 鉄道ブログ SL・蒸気機関車へ


2017/01/14 11:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行