銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしで古城めぐり…新発田市「新発田(しばた)城址」
大型連休に能登を目指したついでに200キロほど離れた春日山を訪問し、せっかくなのでもう一つの百名城を目指してみたら春日山から更に150キロもありました(笑)
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

JR羽越本線の新発田(しばた)駅西口ロータリーから新発田駅交差点を北の県道202号線に出て250mほど先の薬局手前のT字路を西に入って道なりに1.2キロ、アイネスしばた公園手前の交差点を北の県道21号線に入り250mで交差点を西に入ると水路の先に見えてくるのが「新発田(しばた)城址」です。
最寄駅から2キロ弱と徒歩圏としては少し距離がありますが無料の駐車場もあるので安心です。
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新発田城の付近は忠臣蔵で知られる赤穂浪士で四十七士随一の剣客・堀部安兵衛(ほりべやすべえ)の故郷としても知られており、流転ののちに赤穂藩に召し抱えられました。
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城内には櫓が復元されており、展示資料と合わせて無料で見学することができます。
また、ボランティアガイドさんによる解説も充実しており、ゆっくりと聞いて回るの楽しみの一つになりそうです。
ただし、広大な敷地のほとんどは陸上自衛隊新発田駐屯地となっており、通常時は一般開放されていません。
毎年5月中旬に1日だけ開放日があるので、城郭内部を散策する機会があるとすればその日を狙うしかありません。
※駐屯地内のレビューは「名城100選スタンプラリー・31箇所目「新発田城」」をご覧ください。
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新発田城は、源頼朝(みなもとのよりとも)に伊豆の流人時代から仕え、その挙兵に従い治承・寿永の乱で活躍した佐々木盛綱(ささきもりつな)の傍系である新発田(しばた)氏によって鎌倉時代初期に築城されたと考えられています。
戦国時代には上杉謙信(うえすぎけんしん)に従い、天正6年(1578年)の謙信没後に勃発した「御館の乱」では上杉景勝(うえすぎかげかつ)に従って活躍しましたが、家長の新発田長敦(しばたながあつ)が急死し、急遽弟の重家(しげいえ)が新発田家を継ぎましたが、この家督騒動が原因で恩賞から漏れ、天正9年(1581年)に反乱(新発田重家の乱)を起こしました。
天正15年(1587年)に新発田城が落城すると新発田氏は滅亡しました。
※ ただし重家の弟・盛喜は後に帰参し母方の姓である新保氏を名乗り子孫は米沢藩侍組として家名を残しました。
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近代城郭に誓い現在の形状を成したのは、上杉氏の会津転封に伴って慶長2年(1597年)に、かつて織田信長(おだのぶなが)にその才を買われた溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が新発田に入封となった以降のことです。
城が完全な形となったのは承応3年(1654年)頃・3代宣直(のぶなお)の時代といわれ、火災によって城内建築に大きな被害を受けましたが、その度に再建されたそうです。
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江戸時代が終わった明治6年(1873年)、明治政府より発布された廃城令により、表門・二の丸隅櫓と石垣を残して大半が破却され、廃城となったのちには明治政府に接収された城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれました。
第二次世界大戦後には自衛隊駐屯地となり、近年では城跡と駐屯地が重なって見える姿から「戦国自衛隊の城」として親しまれています。
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久々の訪問でしたが、見ごたえのある立派な櫓でした。
次回は自衛隊の資料館である「白壁兵舎広報史料館」にも立ち寄ってみたいですね。


□新発田城(しばたじょう)
 TEL:0254-22-9534
 新潟県新発田市大手町6-4
 入館料:無料
 営業時間 9:00‐17:00
 休館日:12月1日~3月31日
 駐車場:あり


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2017/05/04 15:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしで古城めぐり…上越市「春日山(かすがやま)城址」
5年ほど前に家族そろって100名城スタンプを押しにやってきた上杉謙信(うえすぎけんしん)ゆかりの地に、ズキマル君と再訪してみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

妙高鉄道はねうまラインの春日山(かすがやま)駅を西に出てロータリーから南へ道なりに500mほど進み、突き当りの県道180号線を西へおよそ1.1キロ進むと舗装道の脇に砂利敷きの駐車場が見えてきます。
この先にも駐車場がありますが、大型連休の混雑で駐車スペースがなかったため目的地まで西へおよそ1キロを残してその先は徒歩で進むことにします。
車道として舗装された上り坂を息を切らせて登っていくとたどり着くのは春日山城址の登城口とも言える春日山神社に「春日山城址」の石碑を見つけることができます。
この石碑の上に、上杉謙信像があるのですが、周辺通路に危険性があるらしく写真に収めることができませんでした。
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春日山神社から、登城道を登っていくと2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公・妻夫木聡(つまぶきさとし)さんが演じる直江兼続(なおえかねつぐ)が幼少時に住んだであろう住宅跡を見ることができます。
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さらに山道を進むと上杉謙信を祀った毘沙門堂があるので、参拝しておきます。
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神社から歩くこと10分ほどで、春日山城の本丸跡にたどり着くことができます。
以前訪問した際に、大河ドラマ放送時に整備がなされておらず、観光客からのクレーもがあったなんて話を書かせてもらいましたが、今や一大観光地となっており、スニーカーだけでなくヒールで登城している方まで見受けられます。
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この城は、南北朝時代(1336年~1392年)に越後国守護・上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城しました。
永正4年(1507年に長尾為景(ながおためかげ)が上杉定実(うえすぎさだざね)を擁立し、長尾氏が春日山城主となりました。
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天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景(はるかげ)、景虎(かげとら/上杉謙信)、上杉景勝(うえすぎかげかつ)の四代の居城となりましたが、やがて上杉景勝は会津に入封になりました。
上杉氏の後には堀秀治(ほりひではる)が城主となり、平穏下の山城では政治を取り仕切るに不便として、慶長12年(1607年)に直江津港近くに福島城を築城すると、春日山城はその役目を終え廃城となりました。
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当時小学校に上がったばかりだったズキマル君も最高学年、モカさんに至っては高校生となり一緒に出掛けることも少なくなったことを無性に懐かしく思い、当時は歩かなかったルートを通って新たな発見をしつつ、越後の優しい空気を感じる素晴らしい旅となりました。


□春日山城(かすがやまじょう)
 TEL:025-544-3728
 新潟県上越市中屋敷字春日山
 ※新潟県上越市大豆334(名城スタンプ設置場所)
 開館時間 9:00~16:30(春日山城跡ものがたり館)
 休館日:城址は無休
 入城料:無料
 駐車場:あり


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2017/05/04 10:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


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銀色テントむしで古城めぐり…水戸市「水戸(みと)城址」
花の見ごろに誘われて、茨城県水戸市に歴史探訪にやってきました。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

JR常磐線・水郡線の水戸(みと)駅の北口ロータリーから国道51号線を西へ出て銀杏坂交差点から北東の路地に入り、突き当りの三の丸交差点T字路を芳賀氏に入って道なりに進み、日本百名城のスタンプがある弘道館を背に県道232号線を渡るとその先両翼に広がるのが「水戸(みと)城址」です。
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弘道館を背に橋を渡った先は教育に熱心だった水戸藩の意思が伝えられるかのように城跡が学校になっています。
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橋の東詰めに「水戸城址」の石碑と解説版がありますので、ここを見逃す手はありません。
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橋詰からさらに道なりに歩くと、北に水戸市立第二中学校、南に茨城大学付属小学校が見えてきますが、それらの学校の校門すらも城郭の様相をなしています。
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そんな城郭の雰囲気満載の中学校の入口付近に水戸城と水戸藩の歴史を伝えてくれる「二の丸展示館」が設置されています。
ここ自体に駐車場はありませんが、弘道館付近には多くの有料駐車場がありますし、少し離れた仙波湖付近にも散策範囲に入れるなら、歩けない距離ではありません。(実際、歩いてきました。)
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水戸城は那珂川と千波湖にはさまれた台地の東端に位置し、平安時代末期から鎌倉時代初期の建久年間(1190~1198年頃)に桓武平家の常陸・大掾(だいじょう)氏の一族である馬場資幹(ばばすけもと)が馬場城として築城しました。
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室町時代の応永23年(1416年)、足利幕府に対抗した上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱に加担した大掾満幹(だいじょうみつもと)が足利幕府側の江戸通房(えどみちふさ)に敗れると、江戸氏の支配下となりますが、その江戸氏も有力武将であった佐竹氏とにらみ合うことになります。
天正18年(1590年)の 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原征伐で北条氏についた江戸重通(えどしげみち)は領有を失い秀吉に常陸一国を与えられた佐竹義重(さたけよししげ)・義宣(よしのぶ)によって籠城する馬場城を攻められ、文禄3年(1594年)に重通は敗走しました。
この際に佐竹氏は、馬場城を水戸城とし、城郭を西に拡大し、城下町を形成しました。
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川家康(とくがわいえやす)に味方しなかった佐竹義宣が秋田に入封になると、水戸城は東北をにらむ拠点として徳川家直轄の水戸徳川家として、以降明治時代を迎えるまでこの地を守ることとなり、幕末の戦乱を経て、今に数少ないその遺跡を残しています。
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小さな資料館ではありますが、弘道館と合わせて見ておきたいスポットです。
水戸観光に出かけたら、一度はその歴史に触れてみてはいかがでしょう。


□水戸(みと)城址
 茨城県水戸市三の丸2-6-8(二の丸展示館)
 TEL:未確認
 開館時間 9:00-16:30
 休館日:年末年始(12/31~1/3)
 駐車場なし


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2017/03/04 10:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

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