銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしの家族でお出かけ…長崎「亀山社中資料展示場」
NHK連続ドラマ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じ主人公あさを引き立てつつ、幕末から明治にかけて活躍した政治家の五代才助(ごだいさいすけ/後の友厚)ゆかりのスポットが、龍馬ゆかりの地でもあると聞き訪問してみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

日本初のカンパニーこと「亀山社中(かめやましゃちゅう)」は、クルマでの訪問が非常に難しい階段の多い坂道の途中に位置します。
長崎電鉄の新大工町停車場から西側のコンビニの先の路地を南へ進み、橋を渡って道なりにお寺の続く路地を進んだら禅林寺と深崇寺の間の階段を東に登って行くと階段を上り切った路地の北側に「亀山社中の跡」があり、亀山社中南側の階段を東へ進み、突き当りの路地を北へ進むと見えてくるのが「亀山社中資料展示場」です。
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路地と階段の続く坂道にあるため駐車場はなく、タクシーなどの交通も難しい(行ってくれますが)ことから、足腰の鍛錬は必須です(笑)
開館日は基本的に土・日・祝日のみですが、事前に観光協会経由で「亀山社中ば活かす会」に連絡しておけば平日でも開けてくれることもあるそうです。
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坂本龍馬ゆかりの地として開設された資料館ですが、元は「良林亭(りょうりんてい)」と言う、日本最初とも言われる西洋料理店でした。
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良林亭はオランダの出島で皿洗いから仕込まれオランダ総領事の使用人を経て料理人となった草野丈吉(くさのじょうきち)が文久三年(1863年)に手掛けたレストランです。
この店は、日本経済界の巨人・渋沢栄一(しぶさわえいいち)と並び称せられる大実業家で、元薩摩藩士の五代才助(ごだいさいすけ)の勧めによって草野が開いた店です。
五代の紹介を受け新しい物好きの薩摩藩士から愛好され、長崎奉行からは外国人の接待用の店として指定されるほどのレストランでした。
それまでの長崎にも海外との交易地であったため古くから西洋食が流入し、街の飲食店で西洋料理が提供されることはあったようですが、日本人の手による西洋料理の専門店はこの良林亭が最初とされています。
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また良林亭は、六畳一間の部屋で、6人以上のお客様はお断りだったそうで、現在の「こだわりの料理店」に通ずるものを感じます。
慶応三年(1867年)に馬町の諏訪神社前に移転して「自遊亭」と改名し、元土佐藩士で龍馬の後押しをしていた後藤象二郎(ごとうしょうじろう)の贔屓の店となり、アメリカ大統領グラント将軍をはじめ海外要人の接応レストランとして利用され、当時の飲食店としては希少かつ最高峰の存在へと進展していきました。
※旧自由亭は現在グラバー園内に移設されています。
DSCF7111.jpg

坂本龍馬も通ったかも(?)と言われる老舗レストランは現在、坂本龍馬と亀山社中に関する資料を無料で展示するスポットとして人気です。
しかし、NHKの朝ドラ「あさが来た」の人気を受け、五代才助ゆかりのスポットとして見直される日も近いかもしれません。


□亀山社中資料展示場(良林亭跡)
 TEL:095-828-1454
 長崎県長崎市伊良林2-9-2
 開館時間 9:00-17:00
 開館日:土・日・祝(平日は休み)
 入館料:無料
 駐車場なし


より大きな地図で 銀色テントむしの家族でおでかけを表示

~おさらい(坂本龍馬と亀山社中)~
幕末近い天保6年(1835年)に土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれた坂本龍馬は、若くして江戸で剣術や砲術の修業をしますが、その後は土佐を脱藩すると紆余曲折を経て江戸城の無血開城を手掛けることとなる幕臣・勝海舟(かつかいしゅう)の門人となり、脱藩者の同志と共に神戸海軍操練所に学びました。
しかし元治元年(1864年)に操練所が閉鎖、脱藩者であった龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され長崎にやってきます。
この際に日本最初の商社(カンパニー)である「亀山社中(かめやましゃちゅう)」と言う団体を結成しました。
「亀山」は元々はここが亀山焼という陶器を焼いていた窯元であったことからつけられ、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう名付けたそうです。
亀山社中は、慶応2年(1866年)に長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功します。
蒸気船や新型様式銃の購入・運搬は長州藩と薩摩藩を結び付けることとなり、亀山社中は徳川幕府を討幕し明治政府を確立するために奔走した「海援隊」へと発展していきます。
慶応3年(1867年)に土佐藩重役・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)や薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)らの協力により、龍馬の脱藩罪が解かれ、土佐藩を守る組織との位置付けを持った「海援隊」が設立されます。
海援隊の入隊資格は脱藩者でも海外開拓の志を持った者であれば入隊が可能で、隊の目的は運輸、射利(※)、開拓、投資、そして土佐藩の応援でした。
※射利(利益追求)というのは、利益を求め経営を行うという、当時としては画期的なものです。
海援隊の活動期間はわずか1年(慶応4年(1868年)閏4月に解散)と短いものでしたが、維新後に活躍した陸奥宗光(むつむねみつ/外務大臣)、中島信行(なかじまのぶゆき/衆議院議長)、石田英吉(いしだえいきち/長崎県令)などの多くの人材を生み出しています。
また、長崎土佐商会主任として海援隊との交渉にあたった岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、維新後に三菱をおこし日本経済の発展に寄与しました。

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2016/12/27 11:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


テーマ:子連れ旅行 - ジャンル:旅行

銀色テントむしの幕末歴史探訪…長崎「亀山社中記念館」
明治時代に度々発行禁止となった土陽新聞に掲載された「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」の掲載依頼、一躍明治政府確立の立役者として人気を得た幕末の偉人・坂本龍馬(さかもとりょうま)が、その手腕を知らしめる礎となった日本初の「カンパニー」の跡地を訪ねてみることにします。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

日本初のカンパニーこと「亀山社中(かめやましゃちゅう)」は、クルマでの訪問が非常に難しい階段の多い坂道の途中に位置します。
長崎電鉄の新大工町停車場から西側のコンビニの先の路地を南へ進み、橋を渡って道なりにお寺の続く路地を進んだら禅林寺と深崇寺の間の階段を東に登って行くと階段を上り切った路地の北側にあります。
その「亀山社中の跡」の門の先は、当時の建物を改築した「長崎市亀山社中記念館」となっています。
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入館料は大人300円子ども150円ですが急な坂道と言う場所柄もあり駐車場は見当たりません。
…と言うかクルマが入ってこられるとも思えませんので少々足腰に自信をつけておく必要があります。
すぐ近くに土日祝日のみ無料で見学できる「亀山社中資料館」の訪問だけでもいいかと思っていたのですが、外にいたスタッフさんに「ホントに坂本龍馬が居たのはここですから絶対寄っておいた方がいいですよ!」と言われ、やっぱり見学しておくことにします。
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幕末近い天保6年(1835年)に土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれた坂本龍馬は、若くして江戸で剣術や砲術の修業をしますが、その後は土佐を脱藩すると紆余曲折を経て江戸城の無血開城を手掛けることとなる幕臣・勝海舟(かつかいしゅう)の門人となり、脱藩者の同志と共に神戸海軍操練所に学びました。
しかし元治元年(1864年)に操練所が閉鎖、脱藩者であった龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され長崎にやってきます。
この際に日本最初の商社(カンパニー)である「亀山社中」と言う団体をここに結成しました。
「亀山」は元々はここが亀山焼という陶器を焼いていた窯元であったことからつけられ、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう名付けたそうです。
亀山社中は、慶応2年(1866年)に長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功します。
DSCF7107_20160207200507f49.jpg
蒸気船や新型様式銃の購入・運搬は長州藩と薩摩藩を結び付けることとなり、亀山社中は徳川幕府を討幕し明治政府を確立するために奔走した「海援隊」へと発展していきます。
慶応3年(1867年)に土佐藩重役・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)や薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)らの協力により、龍馬の脱藩罪が解かれ、土佐藩を守る組織との位置付けを持った「海援隊」が設立されます。
海援隊の入隊資格は脱藩者でも海外開拓の志を持った者であれば入隊が可能で、隊の目的は運輸、射利(※)、開拓、投資、そして土佐藩の応援でした。
※射利(利益追求)というのは、利益を求め経営を行うという、当時としては画期的なものです。
海援隊の活動期間はわずか1年(慶応4年(1868年)閏4月に解散)と短いものでしたが、維新後に活躍した陸奥宗光(むつむねみつ/外務大臣)、中島信行(なかじまのぶゆき/衆議院議長)、石田英吉(いしだえいきち/長崎県令)などの多くの人材を生み出しています。
また、長崎土佐商会主任として海援隊との交渉にあたった岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、維新後に三菱をおこし日本経済の発展に寄与しました。

「この柱は坂本龍馬が背をもたれ思案したとも言われる柱ですよ。」と言われ、ズキマル君に模擬刀を持たせて座らせてみると、何とも風格のない体育座りをしてしまったため、周りのお客さんからも大いに笑われてしまい、かなりヘコんでいました。
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亀山社中解散後には何世代も別の家族が住んだ住宅でしたが、それを買い戻し、現在の資料館としてオープンしたそうです。
今回のレビューではほとんど展示内容については触れないでみましたが、館内には当時彼らが密談などに使ったとされる2階の倉庫も見学することが出来て見ごたえがあります。
足腰の悪い方や、小さなお子さんには訪問が難しいかもしれませんが、ちょっと幕末史に興味を持ったら、一度は訪問しておいて間違いのない、ファン垂涎の龍馬スポットの一つです。


□長崎市亀山社中記念館
 長崎県長崎市伊良林2-7-24
 電番号095-823-3400
 営業時間 9:00-17:00
 定休日:無休
 入館料:大人300円子ども150円
 駐車場なし


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2016/12/27 10:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

銀色テントむしの幕末歴史探訪…長崎「龍馬像と土佐商会跡」
歴史旅をするようになったのは三谷幸喜が脚本を務めたNHK大河ドラマ新選組!」で幕末の歴史に興味を持ったことの始まり、その後のNHK大河ドラマ龍馬伝」に至るころには幕末大好き人間に育ってしまいました(笑)
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

冬の家族旅行で長崎を目指したのは、幕末の偉人・坂本龍馬(さかもとりょうま)が長崎の地に多くの足跡を残したと言うことで、一度歩いてみたいと思っていたからです。
かつて京都の島原(京都市下京区)、江戸の吉原(中央区日本橋人形町)と共に日本三大花街として栄えた長崎・丸山(長崎市丸山町)から北東の上り坂の続く居住区である風頭(かざがしら)町の細い路地や階段は、幕末の志士たちの息吹を未だ感じ取ることのできるスポットです。
…こうして坂本龍馬に関わるスポットを回ってみると、必ず花街が近くにあるので、ちょっと子どもたちとの会話に詰まることもありますが、やはり後世に名を残すには昼も夜もバイタリティに満ち溢れていなければならないのかもしれません(笑)
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今回は風頭町を中心に坂本龍馬に関わる屋外スポットの散策をひとまとめにしてみましょう。
※亀山社中記念館と同資料館は後日改めてレビューします。

【風頭公園龍馬像】
長崎の港を見下ろす風頭山にあり、ハタ揚げの名所として市民に親しまれている公園です。
長崎電鉄の公会堂前(こうかいどうまえ)停車場から桜町通りを東へ進み石橋を渡ってお寺の続く路地を南下して延命寺と長照寺の間を東へ進む階段をひたすら登って行きます。
途中にあると言う皓台寺(こうだいじ)の饅頭屋・近藤長次郎(こんどうちょうじろう)の墓を見つけることが出来ずに山の頂上まで来てしまいました。
※長照寺の南隣の皓台寺の墓地の階段を上ると階段沿い南側に近藤長次郎の墓所があるそうです。
墓所エリアが終わり、住宅街に入ったら北へ少し進むと山頂近い高台に見えてくるのが「風頭(かざがしら)公園」です。
春は桜、初夏にはあじさいが咲く花の名所としても知られています。
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公園の高台から西側の賑橋エリアを眺めるように展望台に大きな龍馬像が建っており、これが観光スポットの一つとなっています。
また、平成24年10月に世界新三大夜景に長崎の夜景が認定され、長崎のすり鉢状の地形が生み出す立体的な夜景、様々な夜景スポットから見られる、多方向からの俯瞰的な夜景の美しさが高い評価を得ています。
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【龍馬のぶーつ像】
1995年10月28日に亀山社中創設130周年を記念して市民グループ「亀山社中ば活かす会」の呼びかけにより建立されたのがぶーつ像です。
長崎電鉄の新大工町停車場から西側のコンビニの先の路地を南へ進み、橋を渡って道なりにお寺の続く路地を進んだら禅林寺と深崇寺の間の階段を東に登って行くと階段を上り切った路地の北側・亀山社中記念館(長崎県長崎市伊良林2-7-24)のすぐ北側から西へ下りる階段を数段降りた先にあります。
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亀山社中門前のポケットパークに建っており、ここからは長崎港など長崎の街並みが望めます。
実際にブーツに足を入れることができるため、記念写真のスポットとしても人気で腕を組んで長崎を一望すれば、まるで龍馬になったような気分を味わえます…とのことですが靴のサイズは60センチほどもあるようで、その偉大さに自分の器の(足の)小ささを感じてしまうかもしれません(笑)。
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【若宮稲荷神社】
勤皇稲荷とも呼ばれ、幕末には、坂本龍馬など多くの志士達が参拝したといわれる神社で、ここにも龍馬像があります。
龍馬散策ルートで瓊浦(けいほ)高等学校(長崎県長崎市伊良林2-13-4)の西側にあり亀山社中記念館・ぶーつ像・亀山社中資料館のすぐ東側に位置しますが、若宮稲荷神社だけを案内するにはちょっと言葉で表現するのが難しい場所にあります。
新大工町停車場を南へ進んで橋の先のY字路を東へ進み、突き当りの階段を道なりに登り続けると西側に見えてくる…と言う表現しかできませんがお許しください。
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「古いお宮を若宮」と親しまれる若宮稲荷神社は、出来大工町乙名(おとな)・若杉喜三太が自邸に祀っていた南北朝時代の忠臣・楠木正成(くすのきまさなり)公の守護神(稲荷大神)を延宝元年(1673年)に現在地に移したのがはじまりと伝えられています。
また、元文元年(1736年)に長崎奉行・細井因幡守安明が参道を開削し、社殿を改築したのをはじめとして代々の奉行、人々の尊崇を集めてきた神社です。
志士たちが会した居住区の近くにあり山あいで開けた土地であったことから、彼らが集い、平和への祈りを思うには適した場所だったのでしょう。
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【土佐商会跡】
土佐商会が設立されたのが慶応2年(1866年)で、ここに赴任してきた土佐藩士・岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、翌慶応3年に結成された海援隊(亀山社中から改称)の活動を支援することになります。
長崎電鉄の西浜町アーケード前停車場の乗降所北側に見逃してしまいそうにひっそりとその石碑が建てられています。
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土佐商会は土佐藩の藩営商社で、その長崎出張所がこの地にありました。
その主任となった岩崎弥太郎は脱藩しながらも日本と土佐藩のために活躍した坂本龍馬を支援していたと言われています。
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坂本龍馬に関するスポットや龍馬像はまだまだたくさんあるようなのですが、散策にあてた時間に限りがあり、今回はこれが限界でした。
LCCなどの飛行機やリーズナブルな宿との併用で、予想よりもローコストで楽しめる事がわかった長崎、今後もリフレッシュと歴史探訪のために小遣いを貯めて再訪したくなりました。


□馬頭(かざがしら)公園・龍馬像
 長崎県長崎市伊良林3丁目6-11付近 

□龍馬のブーツ像
 長崎県長崎市伊良林2丁目5-11付近

□若宮稲荷神社
 長崎県長崎市伊良林2丁目10-2
 TEL:095-822-5270

□土佐商会(とさしょうかい)跡
 長崎市浜町2丁目(西浜町アーケード前駅付近)


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2016/12/27 10:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 


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