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銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしで「忠臣蔵」…笠間「笠間城・真浄寺」
忠臣蔵」は全然詳しくないんですが、前回の新発田城(しばたじょう)が忠臣蔵ゆかりの城だったので、なんとなく関連付いて行ってみたくなりました。

蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。


やってきたのは茨城県の笠間駅を北に進み、笠間稲荷の奥に進んだところにある「笠間城(かさまじょう)」跡です。
森の中に駐車場と公園があり、公園自体が笠間城主下屋敷跡のようです。
DSCF1434.jpg

本丸は明治維新後の廃藩置県の折に取り壊されてしまっており、その姿を見ることはできません。
奥のほうまで山道を歩いていくと櫓跡に神社が建立されているのを見られるそうですが、すでにスズメバチがウロウロしているので、行くのは断念しました。
DSCF1441.jpg

公園内に大きな建物が3つあります。
一つは笠間城ゆかりの「時鐘」です。
DSCF1436.jpg
時代背景はよくわかりませんが、指定文化財になっているそうです。
鍵がかかっていて中に入ることは出来ませんでした。

時鐘の右側で駐車場側を見ているのは「大石内蔵助」像です。
DSCF1435.jpg

忠臣蔵は、江戸時代中期(元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日))に江戸城内の松の廊下にて赤穂藩(兵庫県赤穂市周辺)藩主浅野長矩(あさのながのり)が、高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発します。
これにより浅野氏は即刻切腹となり、咎めを受けなかった吉良氏に対し赤穂藩浪士が討ち入りに入るのが大筋です。
この浅野長矩(通常は官職から「浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)」と呼称される。)の曽祖父に始まり1622年から1645年までを浅野家が藩主をしていたそうです。
よく考えると「大石内蔵助」は関係が薄いように感じられますが、江戸時代切っての人気作ゆえに、その歴史を紐解いて行く上では参考になる資料です。

もう一つは笠間城には関係ありませんが、1段上がったところにある「旧笠間市立美術館」です。
DSCF1438.jpg

1900(明治33)年、明治天皇が笠間に行幸された際、西茨城第一高等小学校に宿泊されたことをきっかけに1950(昭和25)年、建物の一部現在地に移築し「笠間町立美術館」として開館した建物です。
すでに閉館していますが、1995年に改修作業を行っているため、ノスタルジックないい雰囲気を醸し出しています。

これと言って城らしさに出会えないままと言うのも悲しいので少々場所を移動しましょう。
笠間城址から1キロほど北に進んだところに「真浄寺(しんじょうじ)」と言うお寺さんがあります。
DSCF1443.jpg

お寺さんと言えば、廃城の折に天守や櫓を移築してくれていることがあるのがメリットです。
この真浄寺には笠間城の「八幡台櫓(はちまんだいやぐら?)」が移築されているのです。
DSCF1447.jpg



入り口こそ改築されて「お寺」になっていますが、横から見たら「櫓」そのものですね。
以前は石垣も笠間城の瓦で作られていたとのことですが、見つけることは出来ませんでした。

横にはひっそりと石碑と解説も建てられており、歴史を楽しむ上ではナカナカの資料ですね。
DSCF1445.jpg

かなり大雑把に散策しましたがそれでも約1時間程度かかりますね。
ハイキングの装備と蜂よけの対策があれば1日かけて笠間城をもっと詳しく巡ることができるかもしれません。
とは言え、ウチのお利口(笑)な子ども達には1時間が限界です。
戦国、幕末をかじりたてのお父さんには、いくら「浅井長政」の子孫の城とは言え、子ども達に熱く語るのは難しいお城でした。


□笠間城‎
 TEL:0296-72-9222(笠間市観光協会)
 茨城県笠間市笠間3616
 駐車場:笠間稲荷駐車場
◇真浄寺(八幡台櫓)
 TEL:0296-72-0090
 茨城県笠間市笠間322-1


より大きな地図で 銀色テントむしの古城巡り を表示


みどころ
時鐘
大石内蔵助像
八幡台櫓(真浄寺)

ワンポイント
戦国史
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい後北条氏に組したため、同戦役後宇都宮氏に攻められ笠間氏は滅亡した。
その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。
その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通が入り、以後8代続いて明治維新を迎えた。

忠臣蔵データ
浅野長重、長直の領地。大石家等諸代の家臣がいた。
長重は、浅野長政の三男。
赤穂浅野家の始祖で長矩の曽祖父の長直は、播州赤穂初代の城主。
城跡公園内に義士顕彰碑がある。

幕末史
明治3年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、建物は取り壊された。

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2012/05/12 7:00 天候:曇り  
測定値:0.17μSv(測定器具:エアカウンターS) 
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)


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テーマ:国内、史跡・名勝巡り - ジャンル:旅行


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