銀色テントむし660
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銀色テントむしの幕末歴史探訪…松戸「宝光院」(千葉周作修行之地)
千葉県松戸市に幕末の英雄たちを育てた剣豪ゆかりの地があると聞き、訪問してみることにしてみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

JR常磐線の松戸(まつど)駅西口からロータリーを出て駅前交差点から県道5号線流山街道を南に進み、文化ホール市口交差点を過ぎ、商工中金松戸支店とコインパーキングの間の路地を西に入ったところにあるのが「宝光院(ほうこういん)」です。
この辺りは幕末の剣豪「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」の創始者である「千葉周作(ちばしゅうさく)」が十代の頃に剣を学んだ中西派一刀流(なかにしはいっとうりゅう)の浅利道場があった場所だと言われています。
DSCF0032.jpg

その歴史を後世に残すために地元の有志により県道からの入口の石柱の後方の参道に「千葉周作修行之地」と言う標柱が建てられました。
DSCF0035.jpg
標柱には2004年に取り壊された旧松戸宿本陣の大黒柱が使われているそうです。
地元では「旧松戸宿本陣保存会」を立ち上げましたが、取り壊しを止めることはできなかったため、標柱の建立には当時同会に寄せられた賛助金十数万円が使われたそうです。

柱の横には当時の様子を物語った解説が置かれていますが、文字は消えかかっています。
DSCF0034.jpg
内容は

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千葉周作修行の地
浅利道場跡・浦山寿貞墓所

 幕末の剣豪、千葉周作が入門した浅利又七郎の道場が
宝光院と善照寺の間にあったと言われています。
 文化六年(一八〇九年)周作一五歳の時、一家は陸前国
(宮城県)荒谷村から松戸宿に転居、馬医者であった父の
忠左衛門(幸右衛門)は浦山寿貞(うらやまじゅてい)と称
してこの付近に開業しました。
 幼時から剣術に長けた周作は又七郎の下で才能を開花
二十三歳で又七郎の師である江戸の中西忠兵衛に入門し
数年の後には免許皆伝を許されます。
 のちに又七郎の娘婿となり、道場の後継者として期待
されますが、流儀に対する考えの違いから免許を返上し
離縁してしまいます。
 修行の旅に出た周作は「北辰一刀流」を編み出し道場
「玄武館」を江戸神田に開きます。周作の合理的な剣法
は評判を集め多くの門弟を輩出するに至りました。
 浅利道場跡の建物は現存しませんが、宝光院境内には
又七郎の供養碑がまつられています。
周作の父、浦山寿貞は天保二年(一八三一年)に没し
その墓所もこの境内にあります。


「千葉周作修行之地」標柱の材木は旧松戸宿本陣の大黒柱です。


-------------------------------------------------------

と、東北を出て北辰一刀流に至るまでの歴史が記載されています。

本殿は朱塗りに緑の屋根が美しいです。
DSCF0036.jpg

本殿右手には墓地が広がりますが、そこに師の浅利又七郎の供養碑と、父・千葉忠左衛門(幸右衛門)の墓があると聞いたので探してみます。
DSCF0037.jpg

若くして才を発揮した周作に師匠の浅利又七郎は養女のお美耶と周作を結婚させ、自身の道場の拡大を図ります。
残念ながら結婚はうまくいかず、免許皆伝を返上して松戸を出ていくことになりますが、ともあれ周作の大成した陰に又七郎の指導力があったことは間違いありません。
又七郎の供養碑は墓地を左手に進み、本殿の西角あたりから北に進む小道を進むと中ほど西側(左手)に大きな石碑が見えます。
DSCF0038.jpg

「浅利又七郎の供養塔」はカタチさえわかっていれば、ほかの方のお墓とは見分けがつきやすく探しやすいです。
DSCF0040.jpg

1831年(天保2年)に没した父の忠左衛門(幸右衛門)の墓は、とても探しづらい場所にあり、結局ご住職に案内していただきました。
「浅利又七郎の供養碑」を左手に見て、北へ一番奥まで進んだ敷地境界の大きな木の右手に墓石がひっそりと建っています。
DSCF0044.jpg

忠左衛門(幸右衛門)は、馬医者として浦山寿貞という名を名乗っていたため、墓には「寿貞浦山先生之墓」の文字が見えます。
他の墓に比べてもずいぶんと小さいながら、その遺伝子が幕末の歴史を大きく動かしていったことを思うと手を合わさずにはおれませんでした。
DSCF0043.jpg

ワンポイント
江戸時代、幕末の剣豪として広く知られる千葉周作は、1809年、15歳のときに一家とともに松戸宿に転居しました。
馬医者であった父親の忠左衛門は、浦山寿貞と名のって松戸で開業し、周作は宝光院の付近にあった浅利又七郎の道場で、日々、剣の修行に励みました。
若き日の周作は、宝光院の門前に住み、浅利道場で剣の修行に励んだと伝えられています。

1822年(文政5年)秋、日本橋品川町に玄武館(俗称:大千葉)という道場を建て、後に神田於玉ヶ池に移転し、多数の門人を抱えて、江戸に剣術の一流を興することとなります。
周作の門下からは幕末の重要人物を多数輩出しています。
平成15年のNHK大河ドラマ「新選組!」になぞらえて浪士組幹部の清河八郎(きよかわはちろう:演・白井晃)、新選組幹部の山南敬助(やまなみけいすけ:演・境雅人)などが挙げられます。
また山岡鉄舟、門弟の井上八郎、塚田孔平、海保帆平、森要蔵らは優れた剣客として名を上げました。

弟の千葉定吉(桶町千葉道場/俗称:小千葉)の道場にはさらに有名な坂本竜馬(さかもとりょうま)がいたので、どれだけすごい兄弟を生み出して来たのかと思うと、松戸の地に歴史の息吹を感じずにはいられませんでした。

幕末の志士たちの源となった剣道の源流に、小さなズキマル君が何を感じ取ってくれたのかはわかりませんが、いつか、父と歩いたこの道を思い出してくれると嬉しいと思いつつ、歴史の小さな舞台を後にしました。


□宝光院(ほうこういん)
 TEL:047-362-3672
 千葉県松戸市松戸1842
 営業時間:終日
 定休日:なし
 入場料:無料
 駐車場:あり
 ※一般向け墓所ですので配慮あるご供養をお願いいたします。


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2014/02/11 09:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)

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