銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしの家族でお出かけ…長崎「亀山社中資料展示場」
NHK連続ドラマ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じ主人公あさを引き立てつつ、幕末から明治にかけて活躍した政治家の五代才助(ごだいさいすけ/後の友厚)ゆかりのスポットが、龍馬ゆかりの地でもあると聞き訪問してみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

日本初のカンパニーこと「亀山社中(かめやましゃちゅう)」は、クルマでの訪問が非常に難しい階段の多い坂道の途中に位置します。
長崎電鉄の新大工町停車場から西側のコンビニの先の路地を南へ進み、橋を渡って道なりにお寺の続く路地を進んだら禅林寺と深崇寺の間の階段を東に登って行くと階段を上り切った路地の北側に「亀山社中の跡」があり、亀山社中南側の階段を東へ進み、突き当りの路地を北へ進むと見えてくるのが「亀山社中資料展示場」です。
DSCF7109_20160207230848a89.jpg

路地と階段の続く坂道にあるため駐車場はなく、タクシーなどの交通も難しい(行ってくれますが)ことから、足腰の鍛錬は必須です(笑)
開館日は基本的に土・日・祝日のみですが、事前に観光協会経由で「亀山社中ば活かす会」に連絡しておけば平日でも開けてくれることもあるそうです。
DSCF7110_2016020723084778c.jpg

坂本龍馬ゆかりの地として開設された資料館ですが、元は「良林亭(りょうりんてい)」と言う、日本最初とも言われる西洋料理店でした。
DSCF7115.jpg

良林亭はオランダの出島で皿洗いから仕込まれオランダ総領事の使用人を経て料理人となった草野丈吉(くさのじょうきち)が文久三年(1863年)に手掛けたレストランです。
この店は、日本経済界の巨人・渋沢栄一(しぶさわえいいち)と並び称せられる大実業家で、元薩摩藩士の五代才助(ごだいさいすけ)の勧めによって草野が開いた店です。
五代の紹介を受け新しい物好きの薩摩藩士から愛好され、長崎奉行からは外国人の接待用の店として指定されるほどのレストランでした。
それまでの長崎にも海外との交易地であったため古くから西洋食が流入し、街の飲食店で西洋料理が提供されることはあったようですが、日本人の手による西洋料理の専門店はこの良林亭が最初とされています。
DSCF7114_201602072308447f8.jpg

また良林亭は、六畳一間の部屋で、6人以上のお客様はお断りだったそうで、現在の「こだわりの料理店」に通ずるものを感じます。
慶応三年(1867年)に馬町の諏訪神社前に移転して「自遊亭」と改名し、元土佐藩士で龍馬の後押しをしていた後藤象二郎(ごとうしょうじろう)の贔屓の店となり、アメリカ大統領グラント将軍をはじめ海外要人の接応レストランとして利用され、当時の飲食店としては希少かつ最高峰の存在へと進展していきました。
※旧自由亭は現在グラバー園内に移設されています。
DSCF7111.jpg

坂本龍馬も通ったかも(?)と言われる老舗レストランは現在、坂本龍馬と亀山社中に関する資料を無料で展示するスポットとして人気です。
しかし、NHKの朝ドラ「あさが来た」の人気を受け、五代才助ゆかりのスポットとして見直される日も近いかもしれません。


□亀山社中資料展示場(良林亭跡)
 TEL:095-828-1454
 長崎県長崎市伊良林2-9-2
 開館時間 9:00-17:00
 開館日:土・日・祝(平日は休み)
 入館料:無料
 駐車場なし


より大きな地図で 銀色テントむしの家族でおでかけを表示

~おさらい(坂本龍馬と亀山社中)~
幕末近い天保6年(1835年)に土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれた坂本龍馬は、若くして江戸で剣術や砲術の修業をしますが、その後は土佐を脱藩すると紆余曲折を経て江戸城の無血開城を手掛けることとなる幕臣・勝海舟(かつかいしゅう)の門人となり、脱藩者の同志と共に神戸海軍操練所に学びました。
しかし元治元年(1864年)に操練所が閉鎖、脱藩者であった龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され長崎にやってきます。
この際に日本最初の商社(カンパニー)である「亀山社中(かめやましゃちゅう)」と言う団体を結成しました。
「亀山」は元々はここが亀山焼という陶器を焼いていた窯元であったことからつけられ、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう名付けたそうです。
亀山社中は、慶応2年(1866年)に長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功します。
蒸気船や新型様式銃の購入・運搬は長州藩と薩摩藩を結び付けることとなり、亀山社中は徳川幕府を討幕し明治政府を確立するために奔走した「海援隊」へと発展していきます。
慶応3年(1867年)に土佐藩重役・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)や薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)らの協力により、龍馬の脱藩罪が解かれ、土佐藩を守る組織との位置付けを持った「海援隊」が設立されます。
海援隊の入隊資格は脱藩者でも海外開拓の志を持った者であれば入隊が可能で、隊の目的は運輸、射利(※)、開拓、投資、そして土佐藩の応援でした。
※射利(利益追求)というのは、利益を求め経営を行うという、当時としては画期的なものです。
海援隊の活動期間はわずか1年(慶応4年(1868年)閏4月に解散)と短いものでしたが、維新後に活躍した陸奥宗光(むつむねみつ/外務大臣)、中島信行(なかじまのぶゆき/衆議院議長)、石田英吉(いしだえいきち/長崎県令)などの多くの人材を生み出しています。
また、長崎土佐商会主任として海援隊との交渉にあたった岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、維新後に三菱をおこし日本経済の発展に寄与しました。

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2016/12/27 11:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

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