銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしの幕末歴史探訪…上野「旧岩崎庭園」
上野の不忍池をズキマル君と散歩していたら、近くに幕末の有名人の宅地を見つけ、訪問してみることにします。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

東京メトロ千代田線・都営地下鉄大江戸線の湯島(ゆしま)駅1番出口から50mほど西の郵便局のある十字路まで進み、細い路地を北西に150mほど道なりにすすむと西側に見えてくるのが「旧岩崎邸庭園」です。
駐車場は障害者用のみ2台分程度ですが、近隣にはコインパーキングがたくさんありますし、都心部近いため徒歩15分圏にたくさんの駅があるので訪問に困ることはないでしょう。
DSCF7268.jpg

旧岩崎邸は明治29年(1896年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられました。
英国人ジョサイア・コンドルによって設計されたもので、木造2階建て地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅で近代日本住宅を代表する西洋木造建築だそうです。
館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせているとのことですが、外装の一部改装と、館内の写真撮影の禁止などから、今回は周辺のみを見て回りましょう。
DSCF7271.jpg

小高い丘の上に見えてくるは洋館の別棟として建つコンドル設計の撞球室(ビリヤード場)で、当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りの木造建築として建築され、本館の洋館から地下道でつながっています。昭和36年(1961年)に洋館と撞球室が重要文化財に指定されています。
DSCF7273_201602232259124fe.jpg

洋館東脇にある袖塀(写真のものでいいのかな?)は和館大広間とともに昭和49年(1969年)に同じく重要文化財に指定されました。
DSCF7272_20160223225911fc5.jpg

最近まではレンガ積みの赤い塀のみが公開されていましたが、耐震工事の折に、建設当時の瓦などが発掘されました。
その当時の塀はレンガ積みの黒漆喰(くろしっくい)仕上げで桟瓦(さんがわら)が葺かれていたことから、現在は入場門近くに一部その要素を再現しています。
DSCF7274.jpg

ズキマル君との話のネタに、この岩崎邸の主について調べてみました。
福山雅治さんが主人公の坂本龍馬を演じたことで有名になったNHK大河ドラマ「龍馬伝」ではストーリーテラーとして、龍馬の知人として香川照之さんがその生涯を語る重要人物である、この邸宅に住んだ岩崎弥太郎(いわさきやたろう)を演じています。
土佐(現在の高知県安芸市)の地下浪人(じげろうにん)岩崎弥次郎(いわさきやじろう)と美和の長男として生まれた弥太郎は、
幼い頃から文才を発揮して14歳頃には当時の藩主・山内豊熈(やまうちとよてる)に漢詩を披露し才を認められました。
21歳で学問で身を立てるべく江戸へ遊学するも、安政2年(1855年)ニ父親が酒席で喧嘩をして投獄された事を知り帰国し父の冤罪を訴えたことにより弥太郎も投獄されてしまいます。
しかしこの際に獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となったと言われています。
出獄後、吉田東洋(よしだとうよう)が開いていた少林塾に入塾し、東洋の甥の後藤象二郎(ごとうしょうじろう)らの知遇を得ました。
慶応3年(1867年)に後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会(とさしょうかい)を任され、坂本龍馬とも並々ならぬ関係性を構築したと言います。
坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中(かめやましゃちゅう)が海援隊(かいえんたい)として土佐藩の外郭機関となると、藩命を受け隊の経理を担当しました。
記録における弥太郎と龍馬の最初の接点はこの時だったとされています。
龍馬の死後は明治元年(1868年)に土佐商会が閉鎖されると開成館大阪出張所(大阪商会)に移り、明治2年(1869年)10月に大阪商会は九十九(つくも)商会と改称し、弥太郎はここで海運業に従事しました。
そこで船2隻を入手した弥太郎は、「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立し個人企業となりました。
この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせ、広く知られる三菱のマーク「スリーダイヤ」を作りました。
「龍馬伝」では人を育てるようには見えないキャラクターで表現されていましたが、三菱商会では出自を差別せず、海援隊や士族出身の社員に対しても徹底して商人としての教育を施したことが知られており、弥太郎がこの後の日本の商業を発展させてきたことは言うまでもありません。
弥太郎の死後、三菱商会は政府の後援で日本郵船となり、後を継いだ弟の弥之助は帝国議会の創立時に天皇から勅選され貴族院議員となりました。

歩いてみると、上野周辺は戦国や幕末に関わるスポットがたくさんあります。
もう少し、ズキマル君と行くりと散歩が出来る期間を新たな発見で埋めることが出来そうです。


□旧岩崎邸庭園
 TEL:03-3823-8340
 東京都台東区池之端1-3-45
 駐車場なし(近隣コインPあり)
 開館時間 9:00-17:00
 休館日:年末年始
 入館料:大人400円子ども無料


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2016/02/14 14:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 

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