銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしで古城めぐり…益子町「西明寺城址」
古今和歌集に名を連ねる貴族で歌人・紀貫之(きのつらゆき)の子孫が築城したと言う古い城跡が寺院の奥の山頂付近にあると聞き、ズキマル君と訪問してみます。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

真岡鐡道の益子(ましこ)駅から南に出て県道41号線を東へ進み750mで益子交差点を直進して県道230線を東へ230m、城内坂交差点を南に進む県道262号線を2.5キロほど進むと見えてくるのは「獨錮山西明寺(とつこざん・さいみょうじ)」です。
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西明寺の住所はgooglemapで「栃木県芳賀郡益子町益子4469」と表記されています。
寺院の駐車場があるので、参拝がてらクルマを停めさせてもらうこともできますが、歩くのが面倒ならば本丸跡まで残り5分程度のところまでクルマで向かうこともできます。
ただ、そちらの駐車スペースは舗装されていないため、ぬかるんでいることもあるので注意が必要です。
DSCF1342.jpg

紀貫之(きのつらゆき)はは、平安時代前期の貴族で歌人として「古今和歌集」の選者の一人です。
下野守(しもつけのもり)・紀氏(きのうじ)の一族でした。
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紀貫之から7代あとの、紀行宗(きのゆきむね)は天仁3年(1110年)に独鈷山西明寺を建立し、その後方に西明寺城をに築城したと言います。
それから永久元年(1113年)に益子氏を称したのが戦国武将・益子氏のはじまりです。
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文治5年(1189年)に源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州藤原氏征伐の軍を起こすと、益子正重(ましこまさしげ)は、宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の郎等として従軍し、後に宇都宮氏の両翼と言われる芳賀氏(はがし)とともに抜群の武功を顕わしました。
この時、頼朝から源氏のシンボルである白旗一流ずつを贈られ、以来、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、宇都宮氏の幕下となって益子氏は各地で武勲をたてました。 
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西明寺から5分ほどでたどり着くこの展望台は実はまだ中腹で、本丸跡はこの先さらに5分ほど歩いて県道を越え、さらに進んだ先にあります。
しかし、見晴らしで言えばこの場所が最も美しいので、やはり山頂近くまでクルマで行くよりも寺院から歩いたほうが風情を楽しめます。
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天文8年(1539年)、領主・宇都宮尚綱は失脚を画策していた芳賀高経(はがたかつね)を急襲して討ち、共に戦った益子勝宗(ましこかつむね)の三男に芳賀氏の家督を継がせ、芳賀高定(はがたかさだ)と名乗らせました。
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この頃から、宇都宮家家中では家臣たちの不穏な動きが多発し混乱していくようになります。
天正12年(1584年)には、七井城主だった勝宗の五男・益子勝忠(ましこかつただ)は宇都宮国綱に叛いて毒殺されてしまいました。
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勝忠の子・忠兼(ただかね)は天正14年(1586年)に茂木氏と戦って討死、幼くして家督を継ぐこととなった家宗(いえむね)は、天正15年(1587年)に復讐を図り、結城晴朝(ゆうきはるとも)に援軍を頼み茂木氏の領値に詰め寄りました。
しかし、この戦いでも益子氏は敗戦し退却します。
この戦いの時期、茂木氏は佐竹氏に属していたため、佐竹・宇都宮同盟に反するものとして、益子氏は両軍から狙われる存在となってしまいました。
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宇都宮国綱は、益子氏が後北条氏に内通し、笠間氏・芳賀氏の領地を侵略したことへの誅伐として天正17年(1589年)、に家臣らと密かに謀って家宗を攻め、益子氏は滅亡し、時を同じくして紀姓(きのせい)益子氏の歴史を支えた西明寺城も廃城への道をたどりました。
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□西明寺(さいみょうじ)城址(高館山)
 TEL:0285-72-2957
 栃木県芳賀郡益子町益子50(西明寺)
 開館時間 城址は常時開放
 休館日:無休
 駐車場あり(西明寺または高館山山頂付近)


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2017/01/07 11:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 
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