銀色テントむし660
デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントムシ」です。家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します。
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銀色テントむしの古城めぐり…世田谷「世田谷城址」
都内を走るチンチン電車・東急世田谷線でぶらり途中下車の旅をしていたら、こんな都心部にも城跡があることを知り、歩いてみることにします。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

東急電鉄世田谷線の上町(かみまち)駅から北へ300m進むと交差点の先西側に見えてくるのが「世田谷城阯公園」です。
都心の一等地とあって駐車場はありませんが、予想外に大きな自然エリアに驚きます。
もとは世田谷(せたがや)城だった公園内には、土塁や丘、谷があり、世田谷百景にも選ばれているそうです。
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世田谷(せたがや)城は足利義氏(あしかがよしうじ)の子・長氏(おさうじ)が吉良庄を領して吉良氏を名乗り、鎌倉幕府の創設に注力したことから、吉良治家(きらはるいえ)が貞治5年(1366年)に鎌倉公方・足利基氏より武蔵国荏原郡世田谷を拝領してこの地に築城したのが始まりとされます。
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治家の子・成高(しげたか)は、太田道灌(おおたどうかん)とともに、長尾景春の乱で道灌の築城した江戸城を防衛し、道灌から「吉良殿様」と呼ばれました。
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成高の子・頼康(よりやす)の代には、北条氏の武蔵への侵出が本格化し、北条氏康(ほうじょううじやす)の妹・高源院を娶り、嫡男には養子として駿河今川氏・堀越貞延(ほりこしさだのぶ)の次子を養子に迎えて氏朝(うじとも)と名乗たせました。
さらに氏朝は永禄5年(1562年)に北条氏康の娘を娶らせると、世田谷城は北条氏の直轄となりました。
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天正18年(1590年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原の北条氏を滅すと、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、世田谷城は廃城となりました。
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天正20年(1592年)、徳川家康(とくがわいえやす)に取り立てられ、徳川家旗本に列した吉良氏は姓を「蒔田(まいた)」と改めたため、鎌倉時代末期から続いた武蔵の名門吉良氏は廃姓となりました。
ちなみに、元禄事件において仇役となった吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしひさ)の家は西条吉良の流れで、世田谷城の武蔵吉良氏とは別流なので、隣接する豪徳寺の吉良氏一族の墓群の中にその名を見ることはありません。
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□世田谷(せたがや)城址(世田谷城阯公園)
 TEL:なし
 東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
 開館時間 城址は常時開放
 休館日:無休
 駐車場なし


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2017/01/14 11:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)
 
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